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PROJECT#31

​Solo Shows - "Always moving | Yu-Sui, Lines as a survey and traceable lines"

Artists: Takuro Ishii, Ryuhei Kaiho, Hidekazu Tanaka

2,3,4,9,10,11 September  2022

Open hours: Fridays and Weekends 14:00-18:00

プロジェクト#31

"Always Moving, 幽邃, 測量としての線と辿々しい線"

出品者:石井琢郎、海保竜平、田中秀和

会期:2022年9月2(金), 3(土), 4(日),9(金), 10(土), 11(日)

時間:金土日 14:00-18:00

いよいよ伊勢佐木町センタービルでの活動も大詰めを迎るアズマテイプロジェクトでは、これまでの開催日程を変更して2週ごとに3つの個展を3つのスペースで開催します。

 

#31では、彫刻家 石井琢郎、写真家 海保竜平、画家 田中秀和が新作を披露します。石井はAZPの創設メンバーの1人でスペースの立ち上げに尽力し「#03 One Stone」では、巨大な岩を運び込みました。一貫して石をモチーフとし、自身と石にとって異なる時間と記憶を「現在」という共通点によって、重ね合わせていきます。海保は#01から展覧会記録の撮影を請負い「#09 幽邃」では、撮り溜めてきた倒木写真を一挙に公開。朽ち果てながら再生を促す倒木に魅了され、全国各地に赴き「次代に生命を引き継ぐ姿」を写真に納め続けています。田中は「#08 絵画へ向けて」に参加し、様々なメディアを用いて絵画に言及しました。絵画という仕組みをひとつの起点とし、そのルールを守りつつスライドさせながら「絵画の限界点」を模索します。

 

芸術作品は、表現形式や媒体が多岐にわたるにつれ、見る側へ難解さを突きつけ、よくわからないことだらけの世界へ誘います。しかし、裏を返せば私たちはこの21世紀に生きながら、何かひとつでも理解しているのでしょうか。もしくは、ひとつでも多く理解しようと努力しているのでしょうか。3人の作家からは、それぞれが打ち込み、取り憑かれたかのような興味への欲求をちいさな手がかりとし、世界をどうにか把握しようという真摯な態度を感じるのです。

 

石に魅せられ、倒木に歓喜し、逸脱を企てる。それぞれが歩む「道」が、取り壊しの決まったこの場所にどのように繋がるのか。目撃できることが楽しみです。

​石井琢郎 ISHII Takuro

1979年、長崎県生まれ、埼玉県在住。東京藝術大学美術学部卒業、東京藝術大学大学院美術研究科彫刻科修了、東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程美術専攻彫刻研究領域修了。2014年Rokko meets art 公募準大賞、2018年アイスタイル芸術スポーツ振興助成。主な展覧会として、2021 さいたま国際芸術祭 市民プロジェクト「時のきざはし」(埼玉)、2019「One stone」/Azumatei project(神奈川)、2017年個展 肌理のつらなり / 秋山画廊 / 東京、2016年KAAT 突然ミュージアム2016 /神奈川芸術劇場 / 横浜、2015年個展 Reach into it / さいたま市プラザノース / 埼玉、2014年 Rokko meets art 2014 / 兵庫など多数

海保竜平 KAIHO Ryuhei

京都市生まれ。1970年代後半をアフリカのナイジェリア・ラゴスにて過ごす。多摩芸術学園(現・多摩美術大学)写真学科卒業後イギリスへ渡り帰国後フリーランスのフォトグラファーに。ポートレート等、様々な撮影も手がける。2019年「幽邃」アズマテイプロジェクト

田中秀和 TANAKA Hidekazu

2005年武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。2008年「個展」ART TRACE GALLERY、2009年「hidden place」TURNER GALLERY、2009年「組立」人形町Vision's 、2014年「まちの展」茅野市美術館市民ギャラリー 、2018年 五月祭 田代邸 、2019年「絵画へ向けて」アズマテイプロジェクトなど。

 

Photo by Ryuhei Kaiho

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Installation view / Photo by Ryuhei Kaiho

#31  Always Moving | 幽邃 | 測量としての線と辿々しい線

文 / 東亭 順(原題美術家)

 3人の作家による3つの個展をはじめて開催した。グループ展ではなく個展を同時に開催したのは、作家が向き合い続けている表現と高い純度で対峙してみたかったからだ。しかし、インストールを終えると石井琢郎の石彫「Always moving」、海保竜平の写真「幽邃」、田中秀和の絵画「測量としての線と辿々しい線」は、葉擦れのようなざわめきを起こしながら共鳴をはじめた。期せずして起きたその相乗効果の理由を探りながら鑑賞を始めると、「震えるような線」が互いをつなぐエッセンスのひとつであるという考えに至った。

 

 タイトルが示すように、田中の作品は直線とぎこちない肉筆の対比である。消失点に向かって引かれたり区分けを目的とした直線だけでなく、絵の具の塗り重ねによって僅かに生まれる段差がつくる線もあれば、三角形に分割された支持体を組み合わせることで生じる溝がつくる直線もある。分割されていた画面が接合されることで初めてひとつの絵画が形作られる。そして、捩りながらゆっくりと吐き出された分厚い筆跡によって画面が綴じられていく。一般的な成人男性でも抱えることができないのではないか、と思われる大きさの石を叩き割る石井は、その内側をくり抜き分断された外殻を接合することで作品に昇華する。その叩き割った刹那に走る稲妻のような亀裂が石井の線である。山深く分け入り倒木を探すことをライフワークとする海保は、武蔵坊弁慶のごとく直立を崩さない枯木と、その背後に生い茂る木々との対比を白黒写真でみせた。色が抜け白く朽ちてゆく枯木の背後で、有機的に絡み合う枝先が、陽光を求め彷徨いながら縦横無尽に行き交い空隙を埋める。枝同士の前後関係は無効化され、圧縮された空間で線が悶えるようにのたうち回る。

 

 石井と海保の展示空間を隔てる壁には、目線の高さに30cm四方の窓 (突板が剥がされ軸組だけの状態) が横並びに8箇所開いていて、互いの空間を覗き込むように鑑賞できる。石彫と写真が呼応し合うのはこの特異な造作による空間特性によるものが大きいが、加えてどちらも自然物という共通点を持つ。他方で、田中の絵画との結びつきが何か。分割と接合から組み立てられた絵画という意味では、石井との共通点が窺える。また、唐突に展示された陶による「直方体と啄木鳥のオブジェ」が、海保の倒木や石彫の空洞へと誘い導かれる。「震えるような線」だけでなく、隣室の作品の導線になりうる偶発的要素によって全体にうねりを起こしている。そのきっかけとなったのが、石井の石彫だ。

 

 石井は、6つの石彫を長さ4mの板の上にのせてみせた。板は部屋の角から対角に腰の高さで空間を水平に横切っている。その板上に川や海や山から運ばれた石がくり抜かれ、接合されて、等間隔に並べられている。石彫らは見た目と裏腹に案外軽く抱えることができ、それゆえに三本の華奢なクロームパイプだけで支えることができるのだろう。視覚による重量に違和感を与えるのがこの展示手法の狙いかもしれない。そして、もうひとつの試みに目を奪われた。たいがいの自然物は三つの接点によってバランスをとり自立するのだが、ひとつの丸い石彫だけが一点 (厳密には点でなくわずかな面) で自立し、時折り風に吹かれてユラユラと揺れ動いているのだ。抱えることも難しい大きさに見える小さな岩が、風によって揺り動かされるその光景にクスリと笑ってしまった。石の中身をくり抜かれ重心を変えられたことが原因なのか。くり抜かれる以前はどのような接点をもっていたのか。いや、そもそも一点で自立する石を見る機会などない。なぜなら河原に転がる石は折り重なり、山の石は土砂に埋もれているのだから。この奇妙な石彫が時折見せる「震え」が、他の二人の作品に連鎖を起こし、共振を始め、3つの空間に静けさとざわめきを生み出していたのかもしれない。

 

 ひとつの不安定要素によってひき起こされた小さな振動が、ゆるやかな運動を生み同期していく。自然発生的に起きるこうした連鎖は心地よく、自身の感覚を紐解きながら思考する楽しみをもたらしてくれる。個々の作家の表現に焦点を絞った企画でありながら、同時に秀逸なバランスを保つ空間を生み出す機会となった。取り壊しの決まったこの空間で、30を超える企画をみてきた。ここに書いた文章は私個人の視点で「なにをみた」という感想である。そんなものは全く役に立たない社会へと我々は(あるいは世間は)向かっているけれども、それは触れることもできない生気であり、もしくは失うこともない光なのだ。むしろそれは、役に立ちはじめた途端に手から滑り落ちてゆくだろう。

PROJECT#32

"そして、初めに戻る"

出品者:大久保あり、志田塗装

会期:2022年9月17日(土) - 2022年9月25日(日)  会期中無休

時間: 14:00-19:00

 いよいよ伊勢佐木町センタービルでの活動も大詰めを迎えるアズマテイプロジェクト(AZP)では、このたび大久保ありと志田塗装による展覧会「そして、初めに戻る」を開催いたします。

 大久保ありは、「#20 イタリアの三日月」(2021)に参加し、AZPの空間に合わせた新作インスタレーション「You wouldn’t see the Ghosts」を自作の短編小説とともに発表しました。志田塗装は、「#27 志田塗装 虚実の皮膜」(2022)で、古びた外壁を再現する描画技術やこれまで収集してきた建築物の外壁塗膜のコレクションを初公開しました。大久保が同展に訪れたことから両者の交流は生まれています。志田塗装の仕事に興味を持った大久保は、参加が決まっていた「MOTアニュアル2022 私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」(東京都現代美術館)の自身の展示空間の塗装を依頼しました。現在開催中の同展で大久保が試みているのは、内と外が入れ子状になった大規模な回廊状の空間をつくり、そこに自身の過去の作品を再構成しつつ配置することで、複数の物語と時間軸が交差する「新たな物語」を紡ぐことです。志田塗装は、その回廊の壁面に清澄白河周辺の古い住宅の外壁や現代美術館の外観を模した特殊塗装を施し、さらに会期中にはその壁面にイタズラ描き=作品を挿入しました。大久保作品の文脈から外れた志田塗装のこの行為は、路地裏で目にする日常的光景としての錯覚を起こさせます。一方、今回のAZP展示では、「志田塗装の事務所」への介入が、大久保によって試みられることになります。現代美術館とAZPという2つの場所への同時進行的な挿入と介入は、すれ違いながらも重なり合い、それぞれの物語を駆動させていくことになります。

 アズマテイプロジェクトは、独立した個として活動するアーティスト同士が繋がり協働しながら運営するスペースとして、自主的な表現の場をつくり上げてきました。残念ながらその活動の舞台となっている伊勢佐木町センタービルの幕はまもなく下りてしまいますが、アーティストの自主的な表現の場づくりに終わりはありません。展覧会タイトルの 「そして、初めに戻る」は、一旦終了した舞台のエピローグからこれから始まるプロローグまでの幕間を意味しています。変えられない終わりの不可逆な状況下に置かれながらも、そこに抗うアーティストの姿勢を少しでも感じ取っていただける機会にできれば幸いです。 美術家 酒井一吉

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PROJECT#32  Prophecy | 予言

Artists: KARASUTEI

プロジェクト#32

"予言"

出品者:烏亭

会期:2022年9月17日(土) - 25日(日) / 会期中毎日開場

時間: 14:00-19:00

揺蕩い 焦がしたるは 麗しき朽ち果つ 擂潰したりて 双なき垢狼煙をあぐ - 烏亭(P•A•D)

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Installation view / Photo by KARASU-TEI

#32  Prophecy | 予言

文 / Space Satoru(ベーシスト)

青い月が浮かんでいた。

展示がある度に、通り過ぎ或いは立ち止まり、何度となく踏みしめた床にぽっかりと浮かんでいた。灰色のカーペットが敷かれたその床には、美術家たちが作品をつくり又は壊したあとの塵、彼らとその仲間たちが酔っぱらい溢し捲いた酒、音楽家たちが発した音の残、そしてそこを訪れた人々が遺していった足跡、あらゆるものが浸み込んでいた。

そのカーペットが真ん丸にくり貫かれ、そこに青い月が浮かんでいた。

 

伊勢佐木モールと長者町通りが交差する一等地、古い街が段々と建替えられ新しい街に生まれ変わっていく中、取り残されたビル、その最上階、3階の最奥にその展示会場であるアズマテイプロジェクトはある。人通りが多い繁華街にもかかわらず、そのビルに入っていく人間は殆どいない。誰しもの視界に捉えられてはいるが、するりと認識から滑り落ち、招待でもされなければ上ろうという考えには及ばないような階段が、そのビルの入口である。近頃の建築物ではまず見ることがないような塗料で染められた緑色の階段。表通りとは打って変わって、ひっそりと足音が響く。踊り場にある塩ビパイプからは上階の住人が流す水の音が聞こえてくる。手すりに沿って欠けた階段に足を取られないようにすすむ。3階に着くとそこは目に付く限り空室はなく、それぞれにテナントが入っているのだが、それでも不思議と人の気配は薄い。コンクリ剝き出しの細い廊下のつきあたりの一番奥、ドアは既に取払われているが、昔の家特有の小さなサイズの扉枠を少し屈むように潜ると、そこに青い月が浮かんでいた。

 

その作品は、烏山秀直と東亭順の二人の美術家ユニットである「烏亭」によるものだ。在廊していた東亭順氏曰く、この部屋の天井、青い月の真上で雨漏りがおきていて、その滴りを受けるために大きなボヘミアングラスの皿を中二階ロフトに置き、その様子をブラックライトの光で照らしたものを、リアルタイムで階下の真丸く抜いた床に投影しているとのこと。中二階にアクセスする梯子は取外され、実際の皿の存在を窺見ることはできない。

投影されたボヘミアングラスの皿に描かれた放射状の規則正しい模様にはそれぞれ少しずつ異なる表情があり、淵が模様に沿って丁寧にカットされているのがわかった。取外された梯子が月の麓から延び、星への階(きざはし)のように、真上の真白な天井板に突き刺さっている。床に描かれた雨垂れの跡のような絵柄は、兎などに例えられてきた月の海のように見えた。その様がとても心地よく、しばらく座り込んで眺めていたのだが、残念ながら皿が雨水を受ける瞬間を視ることはできなかった。タイミング良くその日は雨上がりの訪問であったため自分の日頃の行いに感謝したが、雨漏りというのは小雨程度でそうそう起こるものでもないのだろう。そもそも開廊している時間に雨が降り、雨漏りがして、その瞬間にその場に人が居合わせる、なんてことがあるのだろうか。皆が帰り誰もいなくなった時間に一滴ぽつりとだけ雨水は滴れ、映し出されるのかもしれない。その途方もなさが、その作品を一層美しく見せた。美術作品に対して抱く感情としては適当なものではないように思うが、その月を囲み宴会でもしながら、その瞬間を待つことができたなら、それはとても特別な時間になるのだろう。

 

ところで、この雨漏りのする伊勢佐木町センタービルは、取り壊されることが決まっている。雨漏りがする状態というのは、美術作品を展示するスペースとしてはあまりに致命的であり、アズマテイプロジェクトも他には代え難いこの場所を去り、移転することを決めている。「予言」と題されたこの展示は、そんな伊勢佐木町センタービルにおけるアズマテイプロジェクトの最後から2番目の展示である。そういう事情もあって、会場には終わりを迎える予感とそれを拒絶するような雰囲気があった。かくいう私も、この場所には並々ならぬ想い入れがあり、センチメンタルな気分になりながら、映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」でグランドフィナーレを嫌うビョークが歌った最後から2番目の歌を思い出していた。

 

取り壊しの決まっているビルの雨漏りは決して塞がれることはない。ロマンチックな二人の美術家が浮かべた青い月は静かに雨を待っている。

PROJECT#33

Solo Show - 2nd Art Exhibition Tetsuaki Nanjo

Artist: Tetsuaki Nanjo

1, 2, 7, 8, 9, 10 October  2022

14:00 - 18:00

プロジェクト#33

「美術展覧会第2回 南條哲章」

出品者:南條哲章

会期:2022年9月17(土), 18(日), 19(月), 23(金), 24(土), 25(日)


会期:2022年10月1(土), 2(日), 7(金), 8(土), 9(日), 10(月祝) /  14:00-18:00

 いよいよ伊勢佐木町センタービルでの活動も大詰めを迎るアズマテイプロジェクト(AZP)では、これまで1展示1ヶ月ほどだった開催日程を変更して2週ごとに3つの展覧会をAZP内3つのスペースで開催します。今回の#33で伊勢佐木町センタービルでの活動は節目を迎え、以降再始動へ向けた準備期間に入ります。
 

 #33では、南條哲章による展覧会を開催いたします。AZP創設メンバーの1人である南條は、姉と保育園を設立するだけでなく、幼馴染の運営する美術研究室を支えるなど、多方面から頼りにされる多忙な毎日を送る三児の父親です。2022年4月に開催した#28 『美術展覧会 第一回「南條哲章」展』において展示された他のAZPメンバー4人からのインタビューで「社会人になって間もなく三代続く市議会議員である父親の議員活動をサポートするようになり、次第に南條家の家柄を意識するようになった」と語っていたように、周囲からも謙虚で誠実な人物として親しまれてきました。しかし、美術家たちとAZPの立ち上げに与しこの「アズプロ第四の男=南條哲章とは何者か?」というテーマのもと行われた同展覧会において、インタビューやそれを基に制作された自分の名が冠された作品、さらに出生からの歩みを思い返した半生をメンバー総出で手書きした巻物を目の当たりにしたことで、彼の人生は大きく揺れ動き始めます。「家系ではなく自分自身を意識した」と展覧会後に語った南條は、幼馴染と細君の助言もあり、翌月の2022年5月、武蔵野美術大学通信教育課程デザイン情報学科へ入学。これまでとは異なる視点から「情報・社会・環境」を学ぶべく歩み始めたのです。

 

 今回のアズマテイプロジェクトでは、#28に出品された4つのインタビューの再展示に合わせ、本人の筆による「南條哲章展」レビューを展示します。さらに、美術大学に進学して新たなステージに立った南條より、「過去・現在・未来」をテーマにした人生初となる作品の発表を行います。

 

 どのような肩書きであれ様々な人々と向き合い、そこでの手掛かりをキッカケに人生を模索し続ける。試行錯誤を続ける彼の打ち出す表現が、美術か否かではなく、世の中の何かひとつでも理解するきっかけになればと願う。伊勢佐木町センタービルでの活動によって新しく動き始めたひとりである南條哲章が、この場所でどのような境地を見せてくれるのか、楽しみで仕方がない。 (田中敬一郎)

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Installation view / Photo by Ryuhei Kaiho

PROJECT#33

​Solo Show - Last Drawing for the Center building 

Artist: KARASU-TEI

1, 2, 7, 8, 9, 10 October  2022

14:00 - 18:00

プロジェクト#33

「伊勢佐木町センタービル 最後のドローイング」

出品者:烏亭(烏山秀直+東亭順)

会期:会期:2022年10月1(土), 2(日), 7(金), 8(土), 9(日), 10(月祝) /  14:00-18:00

10月10日 (月祝)   19:00 ~
ライヴパフォーマンス : Soft-Concrete × 烏亭 

2021年7月3日開催のアズマテイプロジェクト#23「現れの場 酒井一吉」展初日。外壁に面さない行き止まりのこの部屋(通称3-C)には、花柄のステンドガラスという場違いな明かりとりが備え付けられている。壁を隔てた隣の事務所からわずかばかりの明かりをお裾分けしてもらう狙いだろう。その薄あかりの中に立ち現れたのは、あるべき壁が取り払われ、もはや部屋とは言えない状態をさらす開け放たれた空間だった。両脇の壁は突板(ツキイタ)が剥がされ、木造の軸組(ジクグミ)が露わにされ、剥がされた板が湾曲しながら構造体にもたれかかっていた。亜麻色と胡桃染の2色に塗り分けられたコンクリートの分厚そうな壁だけが、そこが室内であることをかろうじて示唆していた。

同展初日、正面に唯一元の姿のまま残された壁を使って烏亭のパフォーマンスは行われた。アズプロ宣言文を透明な塗料で壁に記し、その文字を炎によって焦がし浮かびあがらせるというものだ。縦書きで4列9行36文字の漢字で表記されていることもあり、壁に焦げついた文字は意味の読み取れない歴史的な碑を思わせる佇まいを見せていた。会期終了とともに、部屋の壁は板がぎこちなく元の場所に打ち直され、強度を増して何事もなかったかのように元通りの姿に戻された。施工時に印として番号がふられたテープやところどころ塗装の禿げた板の継ぎ目だけが、物言わぬ目撃者のようにこちらを窺っているようだった。

 

2021年9月23日開催の#24「闇の中の白い正午 倉重光則」展では、新たに付加された3面の壁に真っ白な塗料が塗られ、床もモルタルで仕上げられた。廊下とこの部屋を仕切る壁、そして天井だけが以前と変わらぬ姿で残されたことを除けば、板の継ぎ目もない小綺麗な新しい空間に姿を変えた。当然、烏亭が行ったパフォーマンスの痕跡は跡形もなく壁の向こうに封印された ―― 現在すでに取り壊しが決定し移転準備の真っ最中であるが、当時はこのビルが解体されるのはまだまだ先だとぼんやり思っていたし、いつの日かやってくる解体業者が白い壁の裏で息を殺して待ち構える焼きつけられた謎の宣言文に気づく瞬間……と、ニヤけるくらいの心持ちだった。――

 

2021年10月30日開催の#25 「ロマンティックに生き延びろ 烏亭」展では、460cm×280cmの巨大な白布に千の生菊花を円形に縫い付けた作品No.30102021-32を、壁の裏に潜む宣言文の少し手前に垂れ下げて発表した。黄、白、紫など大小様々な生菊花を縫い針でひとつずつ縫い付けるという作業は想像以上に過酷であり、親しい友人達の助けなしでは全て縫い付けることは不可能だったに違いない。すでに咲きこぼれるもの、蕾のもの、干涸びた花片を落としていくもの、と不揃いでひとつとして同じものはない。ぎっしりと隙間なく縫いつけようが、優雅に死が侵食を続けながらすべてが土色に変転していった。

 

2022年10月1日から始まる今展では、その美しくも無惨な姿を晒した菊花旗と、壁の向こうに焼き付けられた宣言文を結ぶ制作に取り組む。 緑色の階段をのぼり切ると、点滅を続ける蛍光灯が乾いた音をたてて人けのなさを助長していた。薄暗い廊下を左に曲がると街の喧騒が静かに消え入り、息を潜めなければいけないという気配に包まれ、どん詰まりの閉ざされた空間と対峙する。鈍い光沢を放つ真鍮製のドアノブには、簡素な掛金に施錠されずに南京錠がぶら下がっていた。立て付けの悪い古びた扉を引くと、軋みと同時にすえた匂いがゆっくりと流れ出て、滑るように注ぎ込む淡い光が部屋をぼんやりと浮かびあがらせていた。初めて見る窓枠の構造は昭和モダンなのか、正面に立ちはだかる壁は抽象絵画なのか。そして、不気味に散らばっていた床一面のカラフルなタイル。映画のセットよりも純粋で、上質な空間がそこにあった ―― あれから4年、 アズマテイプロジェクトがここ伊勢佐木町センタービルで行う最後の企画である。我々の宣言は4年前と変わらず、僅かな光さえも溢さずに枯れることはない。(東亭順)

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Live Performance / with Soft-Concrete | Photo by Ryuhei Kaiho

#33 Last Drawing for Center Building | 伊勢佐木町センタービル 最後のドローイング

文 / 齋藤浩太(音楽家)​

 

 The Last Drawing。直前の展示#32『そして、初めに戻る』で設営された志田塗装事務所を模したスペースをそのまま流用する形でスタートした本展は、同事務所の見習い塗装工となった烏亭の二人がまず社員から色調合の講習を受け、志田塗装によって以前採取された伊勢佐木町センタービル内部の塗膜の再現色を調合する「実習」で幕を開けた。それに続いて同時進行的に展開されたのが、出来上がった塗料でAZP宣言文を地面に写経し続ける行為、烏亭のシグネイチャーともいえる回転する鉄の輪上の蝋燭の炎上、さらに、数ヶ月前の展示で発表された菊の生花を縫いこんだ大旗が設置されていた壁の同じ場所に、大小さまざまなドリルで穴をあけて菊花旗と同サイズの円を現出させつつ、その穴の向こうにある、これもまた過去のパフォーマンスで炎上させたAZP宣言文(漢詩スタイル)の燃え跡が徐々に垣間見えてくる、という三つのパフォーマンスであった。

 

 ドローイングとは、物の形態を線を用いて平面に写し取ることであり、デッサンとおおよそ同義であるらしい。英語表記では「draw + ing」、つまり「drawすること」だ。このdrawは「引く/引き寄せる/引き抜く/下ろす」あるいは「集まる/近づく」、派生して「息をつく/引き分ける/血を流す」、そして「描く/線を引く」と辞書的に多くの意味を持つ言葉だが、共通しているのはどこかに力点がありそこに向けて、ないしはそこから発する運動・行為・状態をあらわしているということだ。そこには常に「線」と「その先」という感覚が伴う。画家達のドローイングといわれるものを観るとき、その作品に引き込まれると、ふっと線が消えていく感覚に陥ることがある。画面には厳然と線は存在しているし、そもそも線が画面を構成しているにもかかわらず、である。また美しいと感じる線というものがあり、それはたった一本でも成立してしまう類のものだ。だがそう感じるとき、自分は現にそこにある線を見ていると言えるのか、これははなはだ疑わしい。現実世界に存在しているのはすべて面であって、この世に線というものは存在しない、といった趣旨の文を読んだことがあるが、考えてみればたしかにそうで、となれば、線というのは一つの観念だということになる。線とはつまるところ、幻なのだ。

 

 そんなことを思いながら今展を俯瞰してみると、そこにあるすべての線、これから現れるはずの線、そして消えていった線、と部屋は線であふれ揺れていた。回転する鉄の輪の軌道、その上に並べられた蝋燭の炎、光、反射の光線。書かれた文字のひと跳ね、空隙、伸びていく文章。壁にあけられ増殖していく穴たちの輪郭、それら子穴が集まり形作る親円のあやふやな輪郭、前/全展示への遡りを誘う時間意識、無数についた足あとから見えてくる運動、雑然と並ぶ画材、廃材、酒瓶、ペットボトル、吸い殻、あらゆるゴミさえ線を引いていた。それらすべてが過剰に現れたかと思うと淋しげに消えて、意識をdrawして行く。どこへ向けてなのかはわからなかった、なかば闇雲にあてどなく、だろうか。

 

 地べたに這いつくばりながら黙々と写経を続ける烏山の背中の向こうで、けたたましい音を鳴り響かせながら今、東亭がドリルで最後の穴を開ける。その音にはどこか断固とした響きがあった。そこにあるすべての線とそれらが向かうはずの先、そしてもはや線であることをやめ打ち捨てられている物たちにまみれて作業を続ける二人の姿を眺めるうちに、「俺たちはここにいる、ここに存在した」というただそれだけの事実を装填し地平線へ、あるいは虚空へ向けてマシーンガンを放っている人の姿をわたしは思ったのだった。無数に放たれたその弾たちが描く曳行が、おそらくは最後のドローイングなのだと。線は引くものなのだろうか、それとも引かれるものなのだろうか。あらゆる事物は自らが勝手に線を引いては消えていくように見え、またそうであってほしいと願う。それらの描く線は幻にすぎない。それでも燃え尽きて落ちた蝋燭の、刹那で消えていく煙のたなびきもまた、線なのだ。すくなくともその場に居合わせ目撃した者たちにとっては。

 

※ 本展を含め烏亭のパフォーマンスには、常に反復と時間の要素が内包されている。反復も時間も、線のイメージを想起させるものであることを付言しておきたい。

PROJECT#33

Collection - Heading towards fujidana

Artists: 

1, 2, 7, 8, 9, 10 October  2022

14:00 - 18:00

プロジェクト#33

「藤棚へ」

 

出品作家:有原 友一、浅野 純人、東亭 順、江西 淳、原田 直子、石井 琢郎、利部 志穂、海保 竜平、烏亭、烏山 秀直、勝又 豊子、倉重 光則、南條 哲章、小川 浩子、大久保 あり、Rommy 、齋藤 雄介、酒井 一吉、saku 、関 文子、Soft-Concrete、 諏訪 未知、武内 優記、田中 秀和、田中 啓一郎、冨岡 奏子、戸谷 森、辻郷 晃司、山本 利枝子、yomikake 、#30祭り


会期:2022年10月1(土), 2(日), 7(金), 8(土), 9(日), 10(月祝) /  14:00-18:00

座談の場:
10月1日 (土)  16:00 ~ 有原 友一(画家) × 田中 秀和(画家) × 烏山 秀直(画家) 
10月2日 (日)  17:00 ~ 大久保あり(現代美術家) × 酒井一吉 (美術家) × 田中啓一郎 (美術家) 
10月8日 (土)  16:00 ~ 石井 琢郎(彫刻家) × 諏訪 未知(美術家) × 烏亭(P.A.D) 
10月9日 (日)  16:00 ~ 倉重 光則(現代美術家) × 勝又 豊子(美術家) × 烏亭(P.A.D) 
10月10日 (月祝)   16:00 ~ 海保 竜平(写真家) × 田中 啓一郎(美術家) 

        18:00 ~ 移動準備 - 藤棚へ

        21:00 ~ クロージング 

アズマテイプロジェクトは本展覧会を機に、現在の伊勢佐木町センタービルを離れ藤棚町へ場所を移すための準備期間に入ります。 

#33では、ここでの活動を締めくくるべく、我々の活動を支えてくれている作家の作品に焦点を当てた展覧会「藤棚へ」を開催いたします。 展示するのは、これまで来場者へ積極的に語られることがなかった、バックヤードに所狭しと掛けられている作品たち。 活動に関わってくれた作家から直接譲り受けたり、ここでの活動を通して購入してきたこれらの作品たちは、「ここで起きたことを記録する」というメンバーの意志のもと集められた大切なコレクションであり、我々にとって代替不可能な宝物となっています。 

会期中には、作家本人を交えた座談の場を設ける予定です。 作家の生の声を聞ける特別な機会となることでしょう。 また最終日には、新しい場所へ移るための準備を行います。 是非ご高覧ください。 

多くのモノが容易に他の媒体に置き換えられ、たやすく売買される現在において、作品をきっかけに作家と本気で関わり語り合うこと。 それこそがアズマテイプロジェクトのこれまでとこれからを示す活動の証であることを信じて。(田中敬一郎)

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Live Performance | Photo by Ryuhei Kaiho

PROJECT#34

​Group Show - KOTOBUKE!!

Artists:  Axel Toepfer, Dodor, KARASU-TEI, Keiichiro Tanaka, Kazuyoshi Sakai, Tetsuaki Nanjo, Hidetada Karasuyama, Jun Azumatei

28 January​ - 23 February 2023 

14:00 - 18:00

​only open weekends and holidays 

Artist's Talk

​29 January 18:30 - KARASU-TEI

11 February 18:30- Keiichiro Tanaka

18 February 18:30- Kazuyoshi Sakai

プロジェクト#34

「寿け ところでおたくはどちらさん?」

出品者:アクセル・テップファ、土士口、烏亭、田中 啓一郎、酒井 一吉、南條 哲章、烏山 秀直、東亭 順

 

会期:2023年1月28(土), 29(日), 4(土), 5(日), 11(土), 12(日), 18(土), 19(日), 23(木祝)  |  14:00-18:00

​談話席

1月29日 (日)  18:30 ~  烏亭 

2月11日 (土)  18:30 ~ 田中啓一郎

2月18日 (土)  18:30 ~ 酒井一吉 

横浜市中区伊勢佐木町センタービルでの4年間の活動を終えて、2023年1月より横浜市西区藤棚ハイツに活動拠点を移します。藤棚ハイツでの柿落としとなる本展は、刷新されたメンバーのお披露目を兼ねた展覧会になります。立ち上げから活動に尽力してきた東亭順から不二七に代表が代わり、今後は烏山秀直、南條哲章、田中啓一郎、酒井一吉、烏亭、Dodor、Axel Toepferの8組でプロジェクトを進めます。タイトルにある「寿け」は祝うべき目出度い事柄を指す「寿」の動詞活用でありその命令形です。昨今、寿という言葉を会話で使うことは滅多にありませんし、その命令形が意味する「祝え」などといった物言いは主催者が使うものではないでしょう。しかし、古来から慶事は人間の営みにおいて重要な役割を果たし、芸術行為もその一翼を担ってきました。祝いの席となる本展では、8組の芸術家たちが藤棚ハイツで芸術行為によって寿きます。〈不二七〉

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Installation view / Photo by Ryuhei Kaiho

PROJECT#35

Group Show - Perspectives

Artists:  Samuli Blatter, Shinpei Kageshima, Shida -Toso, Jun Azumatei

11 - 26 March 2023

14:00 - 18:00

only open weekends and holidays 

#35 4つのパースペクティブ - 例えば風景もしくは黒っぽいなにか-

出品作家:サムリ・ブラッテル、影島晋平、志田塗装、東亭順

​企画:不二七


会期:2023年3月11日(土) - 26日(木祝) / 土日祝日のみ開場 14:00-18:00

 

談話席:調整中

パースペクティブ。透視図法や遠近法を指し日本語では略してパースと呼びます。また、視点・ものの見方・眺望・将来の見通しなどの意味を含む言葉です。ルネッサンス期に生み出されたこの技法は、空間のイメージがわかりやすいよう建物などに自然な立体感を与え、画面上における視線の誘導などに用いられてきました。現在も分譲マンションの完成予想図やゲームなどの仮想空間にその効果を発揮しています。しかし、実際の生活では、あらゆる軒先からそれぞれの方角にかかるパースが無数の消失点をつくっており、すっきりと整ったパースで統一された環境に身を置くことは稀でしょう。加えて手のひらに収まる小さな矩形の画面を覗き込みながら大半の時間を過ごす現代の生活では、一息ついて見通しをつけることなどできる気がしません。

 

振り返らず・脇目もふらず・時間をかけず・肉体への負荷もなく知識を瞬時に得ることは、ストレスを抱え忙しく立ち回る現代の私たちにとって素晴らしい時短パフォーマンスです。ながら視聴などの「ながら行為」で効率的に時間を使うことや、映画やドラマの時短視聴、数秒で完結する動画アプリなどはその代表でしょう。この時短の真逆とも言える行為のひとつに芸術鑑賞があります。そこには筋書きもなければ、フリもオチもなくフラグも立てられていません。物音を立てることさえ憚られ緊張感を強いる静けさに包まれたガランとした空間で、壁に掛けられた謎のモノを見て気の利いた感想を言わなければいけないような空気。もっともらしい文章が添えられているけれど、何ひとつ満足な答えらしいものを得ることができずに眠気さえ誘う場所。ボケーっとしていることがむしろ求められるほとんど唯一の場所。一部の愛好家を除けばもはや贅沢を通り越してコスパもタイパも非常に悪い空間と言えるでしょう。

 

握りしめた液晶画面を凝視する姿と絵画鑑賞を比較してみると、フレーム内に注ぎ込まれる視線の集中力だけは似ています。絵画が動くことはないので、身体を近づけたり遠のけたりして、そこにある情報を整理して自分の心の動きを分析するしかありません。絵画鑑賞とは非常に能動的に作品と対峙しなければならない行為であり、鑑賞者を試す装置であることにほかならず、どれだけの時間をかけても文句を言われません。それは、作品だけに意識が注がれる空間であり、目の前にあるのは、作者のパースペクティブによって選択されて描かれた指針です。そこに描かれたものに鑑賞者が価値を見出すかどうかわかりませんが、どんな解釈をも受け入れるものであるべきです。四組の見方が重なり絡み合うその眺望に心が動かされ、何かを見通すことのできる場となることを願っています。〈不二七〉

サムリ・ブラッテル

https://www.samuliblatter.ch

フィンランド生まれ、東京在住。ベルン芸術大学現代美術修士課程修了後、アールガウ美術館、ルツェルン美術館などスイスを中心に発表。2020年TOKASにて滞在制作。2022年12月より東京に活動拠点を移す。鋭利に削られた鉛筆のみで描かれたドローイングは版画もしくは彫刻的な仕上がりをみせる。

影島晋平

https://shinpeikageshima.mond.jp

1985年神奈川生まれ、多摩美術大学大学院美術研究科(修士課程)絵画専攻修了。主な展示に「相模原」、「地面と幾何形体」、「想起と泥棒」、「風&景」など。2023年初めに新作ドローイング集『DUNAMIS』を制作。

志田塗装

https://shida-toso.com

横浜を拠点とする創業1874年の塗装屋。創業者の志田勘三郎は、日本の先駆的なペインターである町田辰五郎に師事。日本人初のペンキ塗装工事と云われる横浜応接所の塗装を経験したことから、生涯をペンキ塗装に捧げる。現在は、志田英治が代表を務め、外壁の雨染みや傷、汚れなどの経年劣化の風合いを塗料で描き再現する特殊塗装を主な業務として行い、その傍ら建物の外壁塗膜を剥がし取り収集する活動を行う。

東亭順

https://www.junazumatei.com/bio

2015年より横浜に拠点を移す。多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業、HGK修士課程中退。アズマテイプロジェクト初代代表。

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Installation view / Photo by Ryuhei Kaiho

#36 usual time

 

出品作家:尾形愛

​企画/文:田中啓一郎

会期:2023年4月8日(土) - 30日(日) / 土日祝日のみ開場 14:00-18:00

 

談話席 4/16 17:00-  尾形愛×田中啓一郎

 彼女が扱うモチーフの多くは、動物・スポーツ・食器・陶器や衣服など、日常にありふれた対象である。この日常を描き留める行為には丁寧さや温かさを感じるが、対象への彼女の眼差しは独特であり、温かさとは異なるなにかがそこには混在しているように感じる。彼女が十年以上扱っているリトグラフとは、その制作過程において描く時間と製版する時間が交差し、作者と作品との間に距離が生まれる、そういった表現方法である。丁寧に見たものを描くだけではなく、それを描いた自身をも丁寧に観察する冷静でドライな態度。そのふたつが切り替わる先で選び抜かれた作品には、形容し難い複雑な眼差しが立ち現れる。それは必要以上に溢れる情報や物と、彼女自身の立ち位置を探るライフワークなのだと思う。

 彼女の作品を見ていると、人間の儚さに気付かされる。と同時に、作品は彼女自身を力強く肯定し、私たちに日々を濾していくことを訴える。何気なく過ぎ去る日常を、丁寧に観察するよう訴える彼女の作品や態度こそ、今の世に欠けている何かであることは間違いないだろう。

 本展で彼女がどのように眼差しを展開してくれるのか、今からとても楽しみでならない。

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Installation view / Photo by Keiichiro Tanaka

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