#21 Before giving a name

出品作家:田中啓一郎


会期:2021年4月3日(土) - 5月2日(日) / 土日祝日のみ開場 14:00-18:00

4/3(土), 4(日), 10(土), 11(日), 17(土), 18(日), 24(土), 25(日), 29(木祝), 30(金), 5/1(土), 2(日)

アルゼンチンで生まれたある美術家は、

閉鎖された領域を越え無限に拡がることを期待して、

一色に染めたキャンバスにナイフで切れ目を入れた。

数年前その実物を見る機会があった。

想像していたより遥かに血液で染めたように輝き、

絶妙な張力をたたえた画面は皮膚の様に薄く、

傷口のような切れ目には緊張感があった。

吸い込まれるように限界まで近づいた時、

黒い布が張り付けてあることを知った。

夢から覚めるように現実に引き戻されたあと、

向こう側も見たくなった。

(田中啓一郎)

田中啓一郎

私たちが無意識に囚われている価値観や決まりごとを表現の基盤とし、主に絵画や立体作品を用いて解体・再構築させ、表現とモノの可能性を追求した制作活動を行なっている。主な展覧会に「Before giving a name」アズマテイプロジェクト/2021、 「for animals, by humans」same gallery/2020、「Material」Gallery HANA/2018など。東京造形大学美術学科絵画選考領域卒業、神奈川県在住。

作家HP

彼のスタジオに幾度か訪れたことがある。

几帳面に整えられた工具や筆。

白い壁には小さな紙に描かれたエスキースがところどころに貼られている。

実験ピースは宝の原石だと言わんばかりに散らばり、

所狭しと並ぶ作品群はスタジオを飛び出していたるところに点在していた。

彼はいつもその場所で、挽きたての豆で美味しいコーヒーを淹れてくれる。

そして口早に制作の経過、新しい作品の構造

あるいは最近の出来事について話を聞かせてくれる。

その度に、ああ、この人間はつくることへのワクワクが止まらないのだろうなあ。

きっと言葉に言い表し尽くせないドキッとするような風景を存在させたいのだろうなあ。

と思わずにはいられなくなる。

田中啓一郎の生み出す作品は、360度格好が良い。

モダンな色彩もさることながら、木の年輪がつくりだす模様までもを味方につけ、

佇む場所によって作品は表情を豊かに変えてみせる。

彼の手作業の恩恵を受けた木材は、

木枠本来の働きを尊重しつつカタチを覚えていき、

さらに、風合いたっぷりの麻の地もここぞと纏わり付き、いざ成立へ向かう。

そこにすーっと伸びる彼等身大の筆致からは描くという行為への誠意を感じ取れる。

素材に向けるストイックな姿勢と心地のよい戯れに魅了されると共に、

作品の洗練された無骨さが彼の技量と人となりを強く教えてくれる。

飽くなき追求心はいつまでも美しい瞬間を追うのだろう。

それはわたしたちに美術への浪漫を思い出させる。

(アユミツカゴシ)

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#21 Before giving a name

文 / 東亭順(現代美術家)

障子のような構造をした背丈より少し高い立体物が床に置かれていた。角材で綺麗に組まれた格子状の構造体に赤や白や濁色によってところどころ彩色された麻布が張られ、それが木枠の側面にキャンバスタックで等間隔に打ち付けられている様子から、それはキャンバス作品であり「絵画」であることを示しているように見えた。ただしこの立体物の片端は湾曲しながら麻布に綺麗な三次曲面を形作らせており、鑑賞者はその裏側まで自然と導かれることになる。他の作品もキャンバスの構造に手を加えながら同じように三次曲面を作らせていて、その張力の仕掛けを見せつけるかのように壁や床に展示されている。しかし、それらは表裏が明確に配置されており、冒頭の作品が明らかに質を異にするものだったという事がわかる。つまり、作品の表裏を問いかけるてくるように仕掛けられていたのだ。それは一見絵画らしい構造を保ちながら、窓から差し込む自然光が麻布の粗い織り目を通り抜け──絵の具によって光が遮られ陰となり──木枠の影を画面に落とし──描かれた図像以外の情報が多く舞台裏のような印象を持つものだった。木枠と画布の関係では表側であるはずの面が後ろ向きに配置されていたのだ。だがそもそも360度から鑑賞できるように作り配置されているこの作品は絵画に分類できるものなのか。かといって立体作品なのかと言えば絵画的要素の強さがその考えを受け付けようとしない。

 

私が企画した展覧会に田中くんはこれまで二度参加してくれた。紙の薄さや伸縮性を利用した作品や画板を分解して再構成したものなど、規格通りのサイズを用いた身近な素材にあえて手を加えた作品だった。どれも美術作品につきまとう完成までの長い道のりを示す手数や労力を極力感じさせまいとするある種職人のようなスマートさを感じさせ、禁欲的とさえ言えるものだった。この姿勢は本展の作品にも通じている。偶発的に生まれる絵の具の表情はほとんど見受けられず、画布を支える木枠の比率や寸法を基準に色面で丁寧に塗り分けられ、本来であれば画家の腕の見せ所ともいえる筆致をなるべく残さずひっそりと定着させている。また、作品タイトルは4桁の数字のみが並び、S2号~M300号といった規定サイズとともに数学的に表記されていた。

 

田中くんは以下のような文章を本展に寄せている。

「人は意味を決めること或いは知ることによって物や事の認識を共有可能にしているが、同時にそれは思考することも完了されてしまっている状態と考えている。そのような認識を表現の素材とし態度を変更することで、物や事との関係を再構築する。(後略)」

 

この「名前を与える前」の作品群は、既製品を分解し、本来の目的とは異なる形に成形していくという工程で生み出された物たちだと言えるだろう。それは、既にある物質や規定された物事の原則が留まる境界線上で、一旦宙ぶらりんの状態を獲得するべく細工を施し、創作物の立ち位置を開拓していく態度なのかもしれない。つまり、冒頭の作品[4378 / M300号]は、絵画という形式における画布を支える木枠のデザインから構想されつつも三次曲面を生み出すことによって表裏の関係を解体し、二次元から解き放つことを目的とした床置きのキャンバス作品なのであり、それを「どう名付けるか」を問うものだ。常に新しい視座の獲得を目指して彷徨い、画架を捨て、壁面からも逃れようとしてきた歴史、絵画という媒体の魅力。その実体を探求し続けて新しい表現を模索する美術家は後を絶たない。それは湧水が谷を削り大河となって大海を満たすという自然の営みにも例えられるが、実際にはあらゆる分野において横断を前提とした細分化が推し進められ、大海原からまだ見ぬ源泉をそれぞれが目指すようなふりをして河口あたりの汽水域で漂っているかのように映って見えはしまいか。だが今回の田中くんの展覧会からは、未だ見ぬものを生み出そうという純粋な姿勢が窺え、いつかその行為に名付けるのだという意志を感じた。それは、名もなき行為を目撃し記録していくという我々のプロジェクトの原点に通じるものだ。

Photo by Ryuhei Kaiho

#22 不在の向こう 2021 Over the Absence

出品作家:勝又豊子

​企画:東亭順


会期:2021年5月15日(土) - 6月13日(日) / 土日祝日のみ開場 14:00-18:00

5/15(土), 16(日), 22(土), 23(日), 29(土), 30(日), 6/5(土), 6(日), 12(土), 13(日)

私の作品の中で、人間の身体はいつも重要な位置を占めている。これまでは身体の拡大された部分が見る人の眼をあざむいて、少し違った世界に導いてくれる、ということが大きなテーマであった。

私という身体をレンズで覗き、被写体として写し出された自己の身体は或る時は廃墟の中に佇み、一部分と化す。或る時は拒絶したように立ち尽くす。さまざまなレンズの角度で提示されることにより、見る人は覆い隠されたさまざまな感覚をよみがえらせることができる。

又一方、身体の一部である皮膚の表面の痕跡、印を延々と描き続けることが、私の絵画へのアプローチであり、絵画性を意識した三次元的場の表出を模索し続けてきた。今回は私という身体ではなく、どこか消えうるような、はかない身体であるが、見ようとすればするほど逃げてしまうようなものを意識している。私たちの記憶、心に宿っている感情の痕跡を旅することが出来れば良いのだが。

〈勝又豊子〉

勝又豊子 Toyoko Katsumata 

作家HP  

 

宮城県生まれ 神奈川県三浦市在住

1971   宮城教育大学卒業

 

主な個展       

1985 「風景 - 鉄による」ときわ画廊 / 東京       

1987 「跳躍」ときわ画廊 / 東京 

1988 「IRON FANTASY」ギャラリー現 / 東京 

1989 「IRON FANTASY」藍画廊 / 東京 

1994 「包みこむ水」ギャラリー現 / 東京 

1995 「さまざまな眼 68」かわさきIBM市民文化ギャラリー / 神奈川

1996 「閉じ込められた現在」ときわ画廊 / 東京 

1999 「閉じ込められた現在 - 水」秋山画廊 / 東京 

        「閉じ込められた現在 - 水」LAアートコア・ブリューリ・アネックス / ロサンゼルス

2001 「重い水」METAL ART MUSEUM HIKARINOTANI / 千葉

2003 「養分 - Nourishment」LAアートコア・ブリューリ・アネックス / ロサンゼルス

2004 「鏡の中の音」ギャラリー現 / 東京

2005 「皮膚 - 内と外」LA アートコア・センター / ロサンゼルス

2006 「皮膚 - 内と外」ギャラリー現 / 東京

2008 「Panorama Eye」ギャラリー現 / 東京

2012 「不在の向こう」ギャラリー現 / 東京

2013 「不在の向こう/2013」ギャラリー現 / 東京 

        「Over the Absence」EISFABRIK Blaue Halle / ハノーファー、ドイツ

2014 「Red Room」ギャラリー現 / 東京

      公開制作「不在の向こう」宮城県美術館 / 宮城

2015 「よく見る夢 - 断片的な情景」ATELIER・K / 横浜

2016 「よく見る夢 - それから」ギャラリー現 / 東京

2016 「よく見る夢 - 海辺・異国」奈義町現代美術館ギャラリー / 岡山

2018 「よく見る夢 - 沈黙」Steps Gallery / 東京

    「光と闇 - おとぎばなし」Gallery TURNAROUND / 仙台、宮城

2019 「おとぎばなし」city gallery 2320 / 神戸

 

 

主なグループ展

1988 「第2回神奈川アート・アニュアル」神奈川県民ホールギャラリー / 横浜

1997 「ヨコスカのプロフィールー5」カスヤの森現代美術館 / 横須賀

         「ロサンゼルス・インターナシヨナル・アートフェスティバル」 LA アートコア / ロサンゼルス

1999 「LUSH LIFE」ギャラリー12P.M / ミュンヘン、ドイツ

2002 「OVER TONEー美術における第四次元・日米作家展」神奈川県民ホールギャラリ ― / 横浜

         「都会のロビンソンー日独現代美術家4人展」C・スクエア / 名古屋

         「Memorabilia」ゴリアッシュ・ヴィジュアル・スペース / ニユーヨーク

2003 「アートみやぎ 2003」宮城県美術館 / 宮城

2004 「Hand in Hand / Contrasts」クブス・ハノーファー / ハノーファー、ドイツ

2008 「SLOW TIME」LAアートコア・センター / ロサンゼルス

2010「美術の地上戦―OVER TONEⅡ」神奈川県民ホールギャラリー / 横浜

2011「3人の展覧会」LA アートコア・アト・ザ・ユニオン・センター / ロサンゼルス

2013 「インターナショナル・ アート・フェスティバル・イン・タイ2013」ポーチャン・アカデミー・オブ・  アート /タイ

2014 「4人展」LA アートコア・ブリューリー・アネックス / ロサンゼルス

2015 「INTERNATIONAL WOMEN'S CONTEMPORARY ART FORUM」BankART Studio NYK(横浜)

2017 「Why do some clocks tick differently?」日本+ドイツ8人展 アガーテンブルク城 / アガーテンブルク、ドイツ

2019 「ART NOMAD on the GRID」LA アートコア / ロサンゼルス

2020 「VIVIDOR - 人生を謳歌する人 - 」アズマテイプロジェクト / 横浜

国内のみならず国外でも精力的に作品を発表している勝又さんとの出会いは、2016年にスイスにある美術館で企画された展覧会『Japan im Palazzo』に参加したのがきっかけだった。バーゼルのシェアアパートで約十日間、招待作家らと共に賑やかな時間を過ごした。設置作業を終えてそれぞれが寛ぐ時間に、食卓を囲みワインを傾けながら勝又さんと色々な話をしたことをよく憶えている。

 

帰国後、展示のために足を運んだ場所のひとつが奈義町現代美術館で開催された個展『よく見る夢ー海辺・異国』である。立体、映像、写真やドローイングなどで構成された内容で、ある壁面には全体を覆う海や空の映像、別の壁面には赤い鉛筆で描かれた渦巻状のドローイング、また別の壁面には一見すると絵画のように見える大きな写真作品たち、そして身長ほどの縦幅を有する鉄製の薄い箱状の立体が6点床に規則正しく並べられ、その中を覗き込むと水面を漂っているかのように石膏で象られた顔面が浮かび、ワックスがうねる波のように塗りたくられていた。それらの作品は、例えば雨上がりの匂い「ペトリコール」や目を閉じると色や模様が現れる「入眠時心像」、肌触りの良い生地などに触れると気持ちが落ち着く「ブランケット症候群」のような、誰もがかつて経験しているはずだが言い表しにくい「あの感覚」や「あの記憶」などを思い出させ、淡く儚さをも呼び寄せてくるものだった。そして作品内容のもつ柔らかさや判然としないさまそのものを取りこぼさないためであるかのように、重厚な鉄製フレームや台座がしっかりと支えていた。

 

2020年秋には『♯16 VIVIDORー人生を謳歌する人ー』への出品を快諾していただき、展示をご一緒する機会を得た。そしてこの度ついにアズプロでの個展開催の運びとなった。ひと足先に銀座Steps Galleryでの個展が決まっていたので立て続けの発表になるが、新しいアトリエで制作されている作品が今回はどのような形で見る者それぞれの記憶や経験を呼び覚ましてくれるのだろうか。勝又さんの作品に満たされた空間で、また色々な話ができるのが嬉しい。

〈烏亭 (烏山秀直+東亭順)〉

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Installation view / Photo by Ryuhei KAIHO
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Installation view / Photo by Ryuhei KAIHO
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#22 不在の向こう Over the Absence

文 / 東亭順(現代美術家)

薄暗い室内、何色か判然としない塗装の剥げたグレイッシュな壁、古寂びたダークグレイの床、朽ち果てたような空間。中央に置かれた鉄板のテーブルが奇跡的な水平を保ち、何者かの不在を色濃く漂わせている。朱色の錆止めが塗られた大きめの矩形フレームが壁に掛けられ、中心から人物らしき像が朧げにこちらを見ている。その像と対峙するように鉄製の椅子がテーブルを挟んで置かれ、座面のくり抜かた部分に瞬きを続ける片眼の映像が流されている。右手の壁面下部では36.0℃から40.0℃までを表示するデジタルカウンターが赤く光り、ゆっくりと上昇を繰り返している。備え付けの洗面台と鏡、前時代的な古びた窓から差し込む光さえ作品と同化し、さながら哲学的な映画のワンシーンのようだ。

 

会期中のオープンからクローズまで、この展覧会を私は毎日見続けてきた。これほどまでの長時間、自分の作品以外と向き合った経験はない。鍵を開けて扉を開き、看板を運び出し、アルコール消毒液をセットし、換気のために窓を開け、シーリングファンとサーキュレーターと空気清浄機をつけ、軽く掃除を終えてひとまず一服する。そして、正面に見える朱色のフレームの中の像と向き合う時間が始まる。作品もグレイッシュだが、色の剥げた壁のそれとは異なり、湿気を帯びた気体の持つ風合いだ。その像をじっと見つめていると、そのうちにどちらを向いているのか判然としなくなる。近づいて目を凝らすとそれは背景に溶け込み、何を見ていたのか分からなくなる。そんな希薄で曖昧な世界を封じ込めるかのように強固な鉄製フレームが像と背景を囲っている。この作品は、まずデッサンしたものを撮影し、出力した写真を木製パネルに貼り、鉄製フレームに収めたものである。制作に際して撮影後の加工は一切しないというから、そもそも原画となるデッサンには、濃淡による強弱がほとんど見られないのではないか。視力の衰えから撮影時のピント合わせが困難になってきたとも仰っていた。もとより「ピントを合わせる」とは被写体を明瞭に撮影するための行為だが、相手は輪郭の判然としない朦朧としたデッサンである。そこにピントを合わせるということが、作品の鍵となる行為なのかもしれない。つまり、カメラのファインダーを覗き込み矩形の枠に被写体を収めることで結ばれたぼんやりとした像が、いま矩形の鉄枠で内と外を隔てられて目の前にあるのだ。これは作者がファインダーを覗いてシャッターを切った瞬間の再現なのか。手間をかけて不確実な身体を凝視する理由に興味が湧く。

 

一般的に一眼カメラでの撮影では、片眼でファインダーを覗き、レンズ越しに見える被写体にピントを合わせ、露出計を操作し、息を殺してシャッターを切る。この瞬間だけは瞬きを強く意識する。この瞬きとシャッターの関係を通して捉え直すと、今回の「瞬きを続ける片眼」の映像作品で、作家は何かを見つめながら断続的に瞬きというシャッターを切っているといえる。しかし、片眼だけを近距離で撮影する場合、その視線の先にはビデオカメラのレンズしかない。いや、レンズの暗い世界には自分自身が映り込んでいるはずだ。だとするとそれは、レンズに映り込む自分自身に向けて瞬きというシャッターを切り続けている片眼の記録映像、ということになる。椅子は本来であれば正面の壁に掛けられた像を正視する位置に置かれているのだが、映像作品が座面に組み込まれているので座るものではないことがわかる。染みだらけの天井に向けられた視線は、レンズに映り込む自分という見つめる対象から切り離され、座るという用途を椅子から奪い、宙を彷徨いながら不在に向けられている。

 

瞬きを繰り返す片眼の先には作家自身が映り込むレンズがあり、レンズを通して自ら描いた霧のような人物像に照準を合わせる。カウンターは留まらずに上昇を繰り返し、静けさの中に血流を生み出している。不在という空白の存在を受け入れたその向こうに、未知なる奇跡を身体に見出そうとしているのではないだろうか。勝又さんは、これまでも人間の身体を制作における重要なモチーフとして位置づけながら、「不在の向こう」という題名で繰り返し発表してきた。そして本展では、ザラついた無骨な空間の特性を最大限に引き出し、異物を飲み込みながら丸ごと作品とした。視覚によって巡り合う価値を追い続ける姿勢と、不在の向こうを見据えるための新しい表現手法によって、不在であるがゆえに想像を掻き立てられる劇空間が森閑と広がっていた。現実の生活が複雑さを増し混沌を極めていく一方で、不確実な要素を丁寧に掬いあげ、白と黒の間に横たわる限りないグレイの階調の中を自由に行き来しながら生み出された説明のつかない、まだ名前を持たない行為を拒絶せず、視線を投げかけ、それを巡り合いと捉えることができるかどうか。そう不在の向こうから問われているような作品空間だった。

Over the Absence 2021-No.1 | 2021 | w1160×h155×d50mm | Photo, iron frame

Over the Absence  | Table w1460×d860×h730mm, Iron | Chair  w440×d400×h800mm, Iron / Photo by Ryuhei KAIHO

#23 現れの場  The Space Of Appearance 

出品作家:酒井一吉

​企画:烏山秀直


会期:2021年7月3日(土) - 8月9日(月祝) / 土日祝日のみ開場 14:00-18:00

7/3(土), 4(日), 10(土), 11(日), 17(土), 18(日), 22(木祝), 23(祝金), 24(土), 25(日), 31(土), 8/1(日), 2(土), 3(日), 7(土), 8(日), 9(月祝),

​協力:西崎隆信、丸高電業、株式会社酒井一吉事務所

展示という形で作品を世に問うにあたり、美術家は幾つもの作品や展示 プランを描き出しては実行に移す。ある時点で展示までの期限を逆算し、 制作時間、必要な素材や機器の手配や準備、それら全ての活動費用等も現 実問題として考慮することになりその都度プランを変更していくのだが、 当然ながらそれは当初思い描いていたものとは異なるものとなる。良い方 向へ進むことも萎縮した結果になることも作り手ならば経験するだろう。 酒井くんの作品には、思い描いていたものがほぼそのままの状態で私たち の前に現れてくるような鮮度の高さがある。その想像力の豊かさと実行力 は特筆に値するといえる。

印象的な作品に『浦上天主堂再現プロジェクト』(2015)がある。被爆 三世である彼は、故郷に原子爆弾が投下されて 70 年の節目にあたり、被 爆後再建された浦上天主堂の正面壁を使用したプロジェクションマッピン グによって天主堂が歩んだ記憶を振り返ると共に、被爆後の問題を映し出 してみせた。各メディア方面での準備・対応や関係者と地元住民への説明・ 支援、さらに協力金の要請活動も一つ一つ時間をかけ丁寧に行っていた。 美術家にとって未経験の連続だったであろうこれら一連の行程も制作活動 の一部と捉えていたことは明白だ。その証拠としてプロジェクトへの認知 と理解、平和祈念像へのローマ法王礼拝問題、同像制作者である北村西望 問題などを含めた『平和祈念像パフォーマンス』というものを行っている。 長崎平和公園にある件の像に自身が扮し、西望ゆかりの地や場所へ赴いて 一連の活動をするというものだ。

アズプロ企画♯16 V IV I DO R - 人 生 を 謳 歌 す る 人 - に出品した映像作品 『see the sea』(2020)にも触れておきたい。美術家自身が電動工具類を駆 使し、閉ざされた部屋の壁中央を横長の矩形に切り取ると、外側に広がる 眩しい海の風景が現れるというものだ。これには大きな仕掛けが施されて いて、「突然海景が目の前に現れるように見せるために全く存在していな い部屋自体を自らの手で建てた」と平然と話す彼の言葉を聞くまで全く気付かず、唖然としたことを覚えている。

本展へ向けた興味深いコンセプトを聞いたが、今回もプランに伴う複雑 な問題や手続きや工程そのものも制作の一部と捉えながら実行に移してい るようだ。この美術家によって立ち現れる空間を多くの人が目撃し、改め て想像をめぐらし、「実行することの意味」を考慮する場になることを願っ てやまない。(画家  烏山秀直)

酒井一吉 Kazuyoshi SAKAI

作家HP   

 

美術家|建築家|株式会社酒井一吉事務所 代表取締役

1985 長崎県生まれ

2008 東京造形大学造形学部美術学科絵画専攻領域卒業

2013 浦上天主堂再現プロジェクト実行委員会設立

2015 長崎市都市景観賞「浦上天主堂再現プロジェクト」

2019 株式会社酒井一吉事務所設立

 

主な展覧会

2020 「VIVIDOR -人生を謳歌する人-」アズマテイプロジェクト / 神奈川       

2019 「絵画へ向けて」アズマテイプロジェクト / 神奈川        

2017 「ninetytwo 13展」ninetytwo 13 GALLERY / 東京 

2015 「浦上天主堂再現プロジェクト」浦上天主堂 / 長崎

      「長崎平話祈念像パフォーマンス」 / 東京 

2014 「FAMZY」POOL / 東京

2013 「ポートフォリオを観て話す会と展示」新宿眼科画廊 / 東京

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#24 闇の中の白い正午 - 不確定性正方形 - The glaring noon in the dark - Indefinite Square

出品作家:倉重光則

企画・文:烏亭(烏山秀直+東亭 順)


会期:2021年9月23日(木祝) - 10月17日(日) / 土日祝日及び9/24(金)のみ開場 14:00-18:00

私たちは以前から倉重光則を知っていた

 

まだ美術を志しはじめた頃

当時通っていた美術予備校で

眼前のモチーフを必死にデッサンしながら

美術書を読み漁り

豊かさと難解さの交差する

いずれ私たちの主戦場となるはずの

美術の最前線を夢想していた

 

そこに彼はいた

 

数十年後のスイス

出品者として同じ展覧会に参加したことで

私たちの交流は始まった

 

時に挑発され

時に試されながら

ゆるやかな交流を繰り返し

自然に熟成を迎えたいま

アズプロでの個展が決まった

 

「全力で発表する」

少年のような宣言を耳にした瞬間から

私たちの胸は高鳴りつづけている

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横書きにタイピングされた詩が 壁に掛けられていた

左端は垂直に整列し 右端は改行ごとに不揃いだ

床のうえにそのシルエットが拡大され 

青白く光る細いネオン管に置き換えられている

左から右へ改行を繰り返し下方へ流れるはずの詩が

床に置かれ四方からそれぞれの景色を作っている

遠い水平線から波打ち際を思わせる風景が出現する位置に立つと

その果てしないはずの距離を 同時に俯瞰している私たちがいる

光によって照らされた時 対象物は視認される

しかし 対象物と光源の距離があまりにも近いとそれは消し去られる

見せるための機能と同時にものを消す作用を併せ持つ事実の発見

この体験を強烈な快感が与えられた瞬間だったと作家は言う

私たちがどちら側を見ることになるのか 試されるようだ

淡い発光体が何かを暗示するように壁に線状に組まれ

薄明の空を思わせるグラデーションが空間を染めあげていた

発光体なのか それとも壁や床や柱を含めた空間すべてなのか

ミクロ的視点 マクロ的体感を私たちに教えてくれる

ことあるごとに一服を求め足早に喫煙可能な場所へ向かい

日に焼けた分厚い手の平でライターの炎を囲って

丸めた背中越しに煙を立ちのぼらせる姿

真剣に作品と対峙し そこから核となるモノを読み取ろうとする眼差

年齢や性別や国籍など一切気にせず同じ目線で互いのこれからを語る夢

濃くもあり淡くもある 幼き頃に憧れた大人の姿

烏亭(アート・パフォーマンス・デュオ)

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Review

#24 闇の中の白い正午 - 不確定性正方形 - The glaring noon in the dark - Indefinite Square

文 / 烏山秀直(画家)

準備中

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Installation view / Photo by Kazuyoshi Sakai

Photo by Kazuyoshi Sakai
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#25 ロマンティックに生き延びろ - Survive Romantically

出品作家:烏亭(烏山秀直+東亭 順)

文章:齋藤浩太(音楽家)

会期:2021年10月30日(土) - 11月28日(日) / 土日のみ開場 14:00-18:00 

協力:(株)酒井一吉事務所

詩が抹殺されつつある昨今である。

詩とは人間的な営みであり、虚無に向かって投げ出された手だ。

揺れる境界線上で反復されやがて消えていく。

そこには答えも結果もない。過程があるだけだ。

今、誰もがそれを避け、その抹殺に加担している。

 

烏亭の作品は、最終形態へと向かう過程そのものである。

提示される単純な現象が持続あるいは反復し、展示の終わりとともに中断される。

無数の切り花がアレンジされた花輪に空隙が生まれ、死が優雅に侵食する。

軌道上を廻りながら燃えては消える蝋燭から蝋が滴り、

残滓とも新たな生命ともつかぬ無様な塔となってわずかずつかさを増す。

 

それはどこか祈りに似ている。

祈りは繰り返されることで強度を増していき、

ある地点を過ぎれば意味を失いただの歌や叫びのようなものとなる。

我々は今日も不在と対峙することになるだろう。

だが、歩いていかねばならないのだ。

揺らぐ境界線の上を、祈りを口ずさみながら。

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PROJECT#26

​Group Show - "At The Same Time"

Artists: Kentaro Shimoyama, Keiichiro Tanaka, Kei Murata

11 December 2021 - 30 January 2022

Open hours: 14:00-18:00 only Weekends

プロジェクト#26

"同時期"

作家:下山 健太郎、田中啓一郎、村田 啓

会期:2021年12月11日(土) - 2022年1月30日(日)

時間:14:00 - 18:00 土日のみ開場​

自動更新されゆく道楽に窓が覆われようとも、抹消されゆく過程に目を凝らし外界に手を伸ばす。

どんな世界になろうと、此処に集う芸術家が状況に屈し歩みを止めることはないであろう。

2021 年最後を飾るプロジェクト#26 では、3名によるグループ展を開催する。

〈アズマテイプロジェクト 田中啓一郎〉

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PROJECT#27​

Solo Show - "Kazuyoshi Sakai"

Artist: Kazuyoshi Sakai

19 February - 6 March 2022

Open hours: 14:00-18:00 only Weekends

プロジェクト#27

"志田塗装 虚実の皮膜"

作家:酒井一吉

会期:2022年2月19日(土) - 3月6日(日)

時間:14:00 - 18:00 土日のみ開場​

アズマテイプロジェクトでは、27回目の企画となる酒井一吉個展「#27 志田塗装 虚実の皮膜」を開催いたします。

 酒井は、「#23 現れの場」にてアズマテイプロジェクトに隣接する部屋を賃貸借契約し、その部屋の外観にあたる廊下側の壁一面を切り取り、会場内に運び込み展示しました。展覧会を前提とした賃貸借契約は、契約行為から入居までをパフォーマンスとして捉え、展覧会の概要が記載された賃貸借契約書も作品として展示しました。

本展では、酒井が入居した部屋の入口に取付けられたまま残されている「志田塗装」と書かれたシャッターの存在から着想し、近代塗装発祥の地と云われる横浜の塗装史を参照しながら、塗装業界とアート業界を往還する物語を紡ぎます。展覧会を通して「書く、描く、擦る、刻む、塗る、貼る、剥ぐ」といった人類の誕生と共にある行為について考察していきます。

 私がアズマテイプロジェクトの隣に借りた部屋には、 入口に古びた建てつけの悪いシャッターがあり、 その薄汚れた鼠色のスラットには黄変した白ペンキで「志田塗装」と書かれていた。 室内は時が止まっているかのような昭和の空気をまとい、天井と壁は亜麻色に、床から腰高までは胡桃染にと二色に塗り分けられている。壁にはところどころ焦茶色の旧塗膜も残っており、 塗り替えの痕跡から使われていた棚や事務机の残影が見て取れる。 塗装とは、 気分を一新するためや、 建造物を劣化から保護し生活環境を衛生的に保っために行われる人間の営みである。 巨視的にはその行為が風景になり、 都市を形作っている。
 ここ横浜は近代塗装の発祥の地と云われ、 開港とともに西洋式塗装技術が輸入された歴史を持っている。 あるとき大家さんに何気なく志田塗装について尋ねたところ、 志田塗装という事業者が過去に入居していた事実はないと云う。 予想だにしなかったその一言に、私は愕然とした。
 穂積以貫の 『難波土産』中には、近松門左衛門の芸論 「虚実皮膜論」 を解説してこう記されている。 「(近松答日)藝といふ ものは實と虚との皮膜 (ひにく) の間にあるもの也。[…]藝をせば慰(なぐさみ)になるべきや。皮膜(ひにく)の間といふが此也。虚にして虚にあらず、實にして實にあらず、 この間に慰(なぐさみ)が有たもの也。」
 本展では、 見えていたはずの感覚を手がかりに志田塗装を演じることから展覧会を構成し、 現代の新たな虚実の皮膜の構築を試みる。

(美術家 酒井一吉)

酒井一吉 Kazuyoshi Sakai
1985 年長崎生まれ。 2008 年東京造形大学造形学部美術学科絵画専攻領域卒業。

 被爆地ナガサキに一定期間に残存した被爆遺構「旧浦上天主堂」を現天主堂の壁面に原寸大の映像を投影し再現する『浦上天主堂再現プロ ジェクト』(2015) や同郷の彫刻家北村西望作『平和祈念像』に扮し、 西望ゆかりの地へ赴く『平和祈念像パフォ ーマンス』(2015) など社会制度や文化的慣習との関わりの中で、 場の形成と当事者性の獲得をテーマにプロジェクトを展開している。 2020 年よりアズマテイプロジェクト参加。

主な展覧会に、「横浜 あの街を歩く「草枕」のように手書きの地図で」(東京ベイガード ベネチア号、横浜、2021年)、「現れの場」(アズマテイプロジェクト、横浜、2021年)、「VIVIDOR〜人生を謳歌する人〜」(アズマテイプロジェクト、横浜、2020年)「絵画へ向けて」(アズマテイプロジェクト、横浜、2019年)、「浦上天主堂再現プロジェクト」(浦上天主堂、長崎、2015年)

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PROJECT#28

​Solo Show - "NANJO"

Artists:Keiichiro Tanaka, Kazuyoshi Sakai, Hidetada Karasuyama, Jun Azumatei 

April  2022

Open hours: 14:00-18:00 only Weekends

#28 美術展覧会 第一回 「南條哲章」

出品作家:南條哲章、烏山秀直、田中啓一郎、酒井一吉、東亭 順

企画:田中啓一郎

文:東亭 順


会期:2022年4月23日(土)、24日(日) / 14:00-18:00

 10年ほど前に東京から長崎へ活動拠点を移した烏山秀直*とは、かれこれ15年の付き合いになる。そんな彼と企画したイベントのため、2014年に初めて長崎を訪れた。はじめて搭乗するソラシドエアの機内サービスでは、乗客のほとんどが「あご」とリクエストしていた。正体がわからないまま興味本位で頼んでみると、それは柚子のきいたほっこりとする出汁スープだった ――と同時に、母が「あご」を好きだと言っていたことを同時に思い出し、長崎はカステラだけでなく「あご=とびうお」も名産なのだな、と合点したのだった。 ―― 小さな窓の外には入り組んだ地形が広がり、湖に浮かぶ小さな島に滑走路が見える。それは湖でなく海だったことを後で知るが、この大村湾は琵琶湖の半分ほどの大きさであり、全国的にも珍しい超閉塞海域といわれている。この湾の北西に広がる佐世保湾から、針尾瀬戸と早岐瀬戸という河川と見間違えるような海を通じて海水を引き込んでいるので、独特な潮の満ち引きがくり返されているのだ。長崎空港はその湾の南東に浮かぶ箕島 (大村市) に位置し、その更に南東の一番奥まった湾内で烏山となんどか釣りを楽しみ、その釣果を料理して食したことがあるが、塩加減が外海のものとはすこし違うようだったことを覚えている。適度な潮風や陽射しを受ける急勾配の地形は、柑橘類を育てるのに適しているそうで、みかんやポンカンの産地としても名高い。穏やかで白波が立つことも少ないこの海によって豊かな恵みを享受する一方、ハウステンボスの南東にある東彼杵 (ひがしそのぎ) には戦時中、回天(人間魚雷)の発射試験が行われていたという片島魚雷発射試験場跡がある。昨年の春に伊万里経由でそこを訪れたが、屋根が抜け落ちた本営跡地でウェディング関係の撮影が行われ、そのすぐわきの船着場では釣り糸を垂れる家族連れが暖かな陽射しを受けていた。この遺構について長崎観光連盟のサイトは、「エモいロケーションでアートな表現を」と紹介しており、サブカル系の撮影地としても注目されているようだ。

 

 長崎空港に降り立つと、修学旅行の集合写真でよく見かける謎のポーズをとる大きな像や、カステラ、ちゃんぽんなどのご当地パネルが寂しげに歓迎してくれた。到着口では満面の笑みを浮かべながらiphone 6 plusを構えた烏山が元気な姿で待ち構えていた。幼馴染からゆずり受けたというHONDA CR-Vに乗り込み、空港から対岸までの長い一本橋を渡って一路長崎へ向かう。想像していた街並みと随分と違うものだなぁと思っていると20分ほどで到着した。人気もまばらな駅前である。そこは昭和のヒット曲「長崎は今日も雨だった」の路地が入り組むスナック街の長崎ではなく諫早だったのだ。いや、前川清は佐世保出身だから故郷の佐世保を思って歌っていたのかもしれないが……。諫早 (いさはや) というと1997年に干拓事業として潮受け堤防が次々と閉められるというショッキングな映像が全国に流れたあの街である。現在では、ギロチンシャッターの上に車道が通されていて、ドナルド・ジャッドの作品のごとくシャープにエッジをきかせながら約7キロある対岸同士を一直線に結び、海と干拓地の境界を示している。ここ諫早は、有明海に続く諫早湾、外海側に橘湾、そして大村湾と3つの異なる湾に囲まれた珍しい土地でもある。木造平家造りだった駅舎も最近になって大改築され、スタバも入る複合施設の駅ビルに生まれかわった。近くには本明川が流れ、川岸に整備された遊歩道を学生たちが下校している。恋を語りあうには絶好のシチュエーションだろう。そんなエリアに烏山が室長を務める諫早造形研究室がある。古き良き(もしくは悪しき)昭和を感じさせる佇まいのままのその研究室は、とにかくすこしでも上位ランクに合格させるための美術予備校というよりも、進学後に続く美術との関わりかたに指導の重心を置いた寺小屋めいた趣がある。そこで事務や会計、学科講師や室長補佐として烏山をフォローしているのが、本企画の主役となるアズプロ第四の男、南條哲章である。2014年以降になんども長崎を訪れ、釣りを楽しみ、おすすめの道の駅を案内してもらい、潜伏キリシタンの地を辿り、ちゃんぽんやトルコライスを食べくらべ、皿うどんの裏メニューを覚えながら、研究室に集まる烏山の教え子たちとも交流を深めるたびに、忙しい合間を縫っていつも彼は顔を出してくれた。そして2018年の終わり頃、アズプロの立ち上げを快諾してくれた。

 

 「この南條とはいったい何者なのか?」と、これまでに何度か質問されたことがある。彼を説明するには長崎・諫早について書かなければいけないように思いこのように紹介が長くなっているが、彼はアーティストではない。というと、では何をする者がアーティストなのか。アーティストと称する者の作品が本当にアートかどうか。アートとはなんだ? というブーメランが返ってくるのだが、一般的にいう表現者としてのアーティストではない。大学では工学部に在籍し、企業に勤め、現在は地元諫早で新しい家族と暮らし、保育園を設立し、三代続く市議会議員の父親を補佐し、地域の消防団にも属し、地元ではすこぶる顔が広い。さらに幼馴染の研究室を支え、アズプロのメンバーでもある男、それが南條哲章だ。とはいえ、それは彼の表層の一部に他ならない。アズプロでは、メンバーのそれぞれが企画を打ち出しその運営を担っているので、本人が行動しないかぎり何かがはじまることはない。今回で28回目となる本企画では、その他のメンバー四人 (烏山秀直、田中啓一郎、酒井一吉、東亭順) が個別に南條をインタビューし、何かしらの表現物としてそれぞれ提示することになった。

 

 もしかしたら南條は、自らが動くのではなく自発的にメンバーが動くのを待っていたのかもしれない。不動だからこそ生み出せたともいえるこの企画の開始から、四人の美術家たちが一人の男にロックオンした。妄想と思考を四六時中くり返しながら南條哲章という男を考える旅に歩み出したのだ。南條と我々インタビュアーとのやりとりを収めた記録映像で、それぞれの異なる切り口やその経過を通して、アズプロ第四の男=南條とは何者か? という人間の解体が始まる。また一方では、ねるとん紅鯨団の告白タイムではないが、この告白とも言える創作行為によって、我々の人間関係が今後どのように深化するのか楽しみである。

*烏山秀直(画家/アズプロ創立メンバー。諫早造形研究室とNagasaki Factoryにてsongs for a pigeonを開催した。)

 

東亭順(現代美術家)

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